妻下手、なのかもしれない。野際陽子さんに学ぶ
先日、惜しまれつつもこの世を去られた名女優の野際陽子さん。
輝かしい功績が連日報じられています。
その中で、はじめて目にした離婚の会見でのある言葉にハッとしました。
選択には葛藤があったはずで、でも一切攻めず自らの至らなさを述べるのみなのです。
報道陣が多く詰めかける中でもなお、聡明で潔いその姿勢。
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”妻下手” なのかもしれない。
男らしいところがあるのかもしれない。女房だと思っただけでちょっと身構えてしまうというか・・・
夢を追って色んなことをしている、そんな彼が好きだし迷惑に思ったことはない。
ただ、その中でいない時間が長くなると、私自身が、自分が妻であるという感覚がすごく希薄になってしまって・・・
世間では密度の濃い夫婦というフリをしている気がした。これでいいのかな、自分にも他人にも嘘をついているような気がして。
別にフリをしていたんじゃないんですけど、そういうふうに思われ続けることが、だんだん自分はこれでいいのかなと。
夫婦じゃなくても、もう一度友達に戻れたら。もっと自然なかたちで素直に向かい合って、人間的に暖かい関係ができるのではと思ったんです。
なんて正直で明快。そして核心をついていらっしゃる。
心当たりだってある。
子なしの共働き、両実家が遠距離となれば自由度は相当なもの。嫁はおろか「妻」という自覚も薄れがちなのです。
そしてふとした瞬間、
例えば夫婦として招かれたり、お店で奥さんと呼ばれたり、戸籍謄本の備考欄に配偶者と記されているのを目にすると、むむ、と身構えてしまう。
妻下手、か。
もはやなにを持ってして上手いのかすらわからぬ・・・
「密度の濃い夫婦というフリ」というのも少々どきっとしますね。もちろん意識的じゃないんだけれども。
どんなに仲よくしていても、夫婦だからこそ起こるけんかだってあるし。
だからこそというべきか。
”自然な形で素直に向かい合って、人間的に暖かいやりとりが日々できるようになるには”
夫婦関係に限らず、みんなずっとそれを模索し続けているのかもしれませんねえ。
丁寧に紡がれた言葉と凛とした姿勢に感銘を受けました。心よりご冥福をお祈りいたします。
(あ、仲はいいですよ!)